カウンセリングのススメ

第六回

今回のテーマは「好き・嫌い」です。

Wendy21 米島健二

 好き嫌いの無い人は少ない。特に精神病は人間を幼稚にさせる面もあるようで、食べ物にとどまらず人間関係も好き嫌いが激しくなる傾向があるように見える。
 僕自身も食べ物こそ何でもよく食らうが、対人的にはどうも苦手な人というのが多い。よく人見知りもする。
☆好き
 「好き」になる理由は簡単だ。例えばその人や物が自分にとって心地良い感覚や印象をあたえる。または実利があれば好きになれる。自分にとって不利益なことばかりで、不快な思いばかりさせられて、それでも「好き」ってこともある。しかしその場合は、「好き」って状態に溺れているというか、犠牲的な自己の姿を好ましいと感じているからなのだそうである。
☆嫌い
 ピーマンが嫌いな理由を聞くと、「にがい」という答。コーヒーは好きだというので理由を聞くと「にがみがいい」とか変だ。
 人を嫌いになる理由もピーマンと同じなら良いが、自分にとって好ましくない様々な要素が積み重なって形成される場合が多い。初印象というような、あいまいな要素もある。
 蜘蛛が嫌いな人は、蜘蛛を殺しても何の罪の意識もない。嫌いな物を排除するという意識は、本能的であり生物が自己の遺伝子を代々伝え残してき得たテクニックの一つである。しかし本能は保守的であり変化をあまりのぞまない。進化を支えてきたのは、本能に逆らって動ける叡智という光である。冒険である。
☆克服法
 やはり、万物を愛でる思想を育むことが一番の克服法ではないか。人と人、物と物、人と物、全ては繋がり合っており、この宇宙のあらゆる存在は、己の分身であるということ。私たちは世界樹の葉や花で、根っこは全て繋がっている。人を愛せない者は自分を愛し、自分を愛せない者は人を愛することによって、万人万物を愛することが可能となる。
 かつてあなたの皿からはじかれ、生ゴミとして捨てられていったピーマンや人参。その哀れな行く末に涙する日が来るかもしれない。自分の末路がそうでない保証は無いからだ。好き嫌いの枠を超えた「博愛心」、「ボランティア精神」などを養うことが嫌いなものを克服する鍵となるだろう。
 「それでもやっぱり嫌い」、ということもあるだろう。何もかも好きになる必要はない。「嫌い」があるから「好き」が輝くのだろうから。